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2021-01-09

大河ドラマ 江 濃姫

濃姫||大河ドラマ(麒麟がくるなど)で12人の俳優(川口春奈など)が演じた。|7000人以上の大河ドラマ俳優のデータベース。その他、歴史や格闘技について情報を発信しています! 宮沢りえさんが演じるキャスト茶々。大河ドラマ「江~姫たちの戦国」で茶々を演じました。茶々は三姉妹の長女らしく、普段は物静かで思慮深いのですが、時には激しい気性を見せるのです。 大河ドラマで描かれた歴代の茶々(淀殿)の中で一番印象深かったのです。 女優の沢尻エリカさんが合成大麻所持で逮捕されました。 2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の帰蝶(濃姫)役に決まっていました。 逮捕となれば降板ということになりそうですが、代役は誰になるでしょうか? 大河ドラマ麒麟がくる(2020)帰蝶役・沢尻エリカは降板? 大河ドラマ「江」総集編のような最終回. 麻薬取締法違反の容疑で逮捕された沢尻エリカが出演予定だったnhk大河ドラマ【麒麟がくる】での濃姫役の代役は誰?水原希子、菜々緒、黒木メイサ辺りが怪しい。撮影はスタートしてるけど、今どのへん?かも考察しました。 大河ドラマはどうなるのか?という心配の声が多くあがっていました! ああ!沢尻エリカ自体には何の思い入れも無いけど大河で濃姫を演じるのか!このタイミングで代役探して&取り直しとは。 — silentspice (@silentspice) November 16, 2019. 濃姫(のうひめ / のひめ )は、美濃国の戦国大名である斎藤道三(秀龍)の娘 で、政略結婚で尾張国の戦国大名・織田信長に嫁いだ 。後述するように名前や呼称も不明だが、便宜上、濃姫として記述する。 沢尻エリカ 帰蝶(濃姫)に決定する. 【帰蝶】が登場する来年の大河ドラマ麒麟がくるってどんな内容? 麒麟がくるで沢尻エリカの役柄は濃姫のネタバレ!大河ドラマで重要人物? 来年2020年1月5日(日)スタートのnhk大河ドラマ「麒麟がくる」は、明智光秀が主人公です。 NHK大河ドラマ開始延期!沢尻エリカ様演じる帰蝶(濃姫)がどれだけ重要な役だったのか解説!【麒麟がくる】 - Duration: 4:57. 回 番組名 放送期間 主演 : 第61作: 鎌倉殿の13人: 2022(令和4)年1月~ 小栗 旬(北条義時) 第60作: 青天を衝(つ)け パペットホームズ、大河ドラマなどの好きなテレビ番組やラグビーについて書いています。アフィリエイトはやっていません。/Welcome to my blog. 2020年NHK大河ドラマ『麒麟がくる』が、帰蝶(濃姫)役の沢尻エリカ降板騒動で揺れている――との報道が世間を賑わせている。だが、ドラマの開始を待つ大河ファンにとって、そんな騒動は関係ない。本格戦国大河の放映開始を静かに待つのみである。 2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』の準ヒロインである濃姫(帰蝶)。 代役騒動でにわかに注目を集め、沢尻エリカに代わり川口春奈さんが演じることが決定しました。 と、その前に濃姫について。 清洲城に建つ濃姫像。 濃姫が生きたのは戦国時代。 明智光秀(あけち-みつひで) –長谷川博己 帰蝶(斎藤道三の娘・濃姫) —沢尻エリカ→ 川口春奈 菊丸(きくまる)~光秀を神出鬼没で救う三河出身の農民 –岡村隆史 織田信秀~道三のライバルで織田信長の父 –高橋克典 織田信長~光秀の運命を変える –染谷将太 駒(こま)~光秀と京で出会う戦災孤児で医師の望月を手伝っている –門脇麦 望月東庵(もちづきとうあん)~京の医師 –堺正章 斎藤道三(さいとうどうさん)~美濃の守護代で明智 … 大河ドラマで「本能寺の変の回が良かった」と思ったのは久しぶり。 まさか「江~姫たちの戦国~」に感心させられるとはねぇ。 一方で、どうしてもツッコミたいところもゴロゴロ。 淀・初、そして江。信長の妹・市を母とし、日本史上最も有名な三姉妹(浅井三姉妹)の末っ子に生まれた江は、徳川二代将軍・秀忠の正室となり、娘は天皇家に嫁ぎ、息子は第三代将軍となります。しかし、そこにたどりつくまでの江の人生は、波乱と苦難の連続でした。二度の落城により父と母を失った江は、時の権力者たちに人生を翻弄され、三度の結婚を重ねます。さらには、姉・淀と敵味方に分かれて天下を争うことに──。戦国の世の苦しみを知りぬいた江は、天下太平を願い、江戸城に大奥をつくりあげます。それは、以後二百数十年にも及ぶ、平和と繁栄の時代を築く礎となったのです…。大奥の潔い終焉を描き「篤姫ブーム」を全国に巻き起こした田渕久美子が、丹念に歴史を取材し、大奥の始まりに至る道のりを、鮮やかに華やかにオリジナルでドラマに仕上げます。戦国史の新たなスーパー・ヒロイン、江の活躍にご期待ください。, 江(上野樹里)淀(茶々)(宮沢りえ)初(常高院)(水川あさみ)織田信長(豊川悦司)市(鈴木保奈美)浅井長政(時任三郎)徳川秀忠(向井 理)柴田勝家(大地康雄)豊臣秀吉(岸谷五朗)明智光秀(市村正親)おね・北政所・広台院(大竹しのぶ)徳川家康(北大路欣也)大政所(奈良岡朋子)京極高次(斎藤 工)京極龍子・松の丸殿(鈴木砂羽)豊臣秀長(袴田吉彦)佐治一成(平 岳大)豊臣秀勝(AKIRA)豊臣秀次(北村有紀哉)本多正信(草刈正雄)黒田官兵衛(柴 俊夫)石田三成(萩原聖人)細川ガラシャ(ミムラ)千利休(石坂浩二)足利義明(和泉元彌)森蘭丸(瀬戸康史)森坊丸(染谷将太)森力丸(阪本奨悟)浅井久政(寺田 農)朝倉義景(中山 仁)茶々(幼少)(芦田愛菜)初(幼少)(奥田いろは)須磨(左 時枝)サキ・大蔵卿局(伊佐山ひろ子)ウメ(和泉ちぬ)ヨシ・民部卿局(宮地雅子)前田利家(初田啓作・大出俊)織田信包(小林 隆)織田信忠(谷田 歩)織田信雄(山崎裕太)織田信孝(金井勇太)佐久間盛政(山田純大)斎藤利三(神尾 佑)徳川信康(木村彰吾)酒井忠次(桜木健一)本多勝忠(刈谷俊介)三法師(庄司龍成)丹羽長秀(江連健司)池田恒興(武田義晴)細川忠興(内倉憲二)於義丸・結城秀康(前田 健)竹千代(嘉数一星)旭(広岡由里子)清原マリア(吉田 羊)完(栗本有規)豊臣秀頼(武田勝斗)孝蔵主(山口果林)島左近(中村育二)毛利輝元(浜田 晃)真田昌幸(藤波辰爾)真田幸村(浜田 学)黒田長政(長谷川公彦)福島正則(金山一彦)加藤清正(横山一敏)大姥局(加賀まりこ)大久保忠隣(阿藤 快)細川光千代(中川大志)大野治長(武田真治)片桐且元(三田村邦彦)千(芦田愛菜)なつ(朝倉あき)福(富田靖子)天野康景(鶴田 忍)本多正純(中山麻聖)豊臣秀頼(大賀)千(忽那汐里)徳川竹千代(水原光太)徳川国松(松島海斗)林羅山(林 泰文), 各ドラマのスタッフが、番組の最新情報や裏話をお届けしています。(NHKサイトを離れます). 大河ドラマ「江」の最終回を見ました。 最後の最後に、お市(鈴木保奈美)が登場。 なぜ?なぜ?どういうこと? 何か大切なメッセージが込められてるの? と軽くパニックった、ももっちです。 楽天市場:カタログネットTシャツ工房壱番店の2020年大河ドラマ「麒麟がくる」関連商品一覧。楽天市場は、セール商品や送料無料商品など取扱商品数が日本最大級のインターネット通販サイト I write about some Japanese TV programmes including NHK puppetry and Taiga Drama, Sherlock Holmes and rugby. I don't do affiliate marketing. 濃姫役ですよね… 濃姫は大河ドラマ内の重要な役どころであり、第1話から出演予定でした。 大河ドラマ『麒麟がくる』濃姫の代役条件が厳しすぎ! 濃姫の代役選びが進められているとのことですが、その条件が厳しすぎると話題になっています。 NHK2020年大河ドラマ「麒麟がくる」は59作品目です。 大河ドラマで主役を演じる「男優・女優」さんはその年の「顔」になりますね。 主演者の役と演じる役者さんがダブりますよね。 濃姫(のうひめ / のひめ[注釈 1])は、美濃国の戦国大名である斎藤道三(秀龍)の娘[注釈 7]で、政略結婚で尾張国の戦国大名・織田信長に嫁いだ[注釈 8]。後述するように名前や呼称も不明だが、便宜上、濃姫として記述する。, 広く知られた『絵本太閤記』や『武将感状記』で、濃姫として登場していることからこの名が有名になった[5][6]。これは美濃からきた姫、つまり美濃姫というの省略して濃姫とよんだ、と考えるのが正しく本名ではない[7]。, 名前に言及している書籍はわずかであるが、江戸時代に成立した『美濃国諸旧記』では帰蝶/歸蝶(きちょう)であったとされ、『武功夜話』では胡蝶(こちょう)であったとされる[8]。同じく『美濃国諸旧記』で、天文17年(1548年)秀龍がに稲葉山城を斎藤義龍に譲って出家して、(再び)道三と号して鷺山城に退き、翌年にこの城から古渡城[注釈 9]の信長のもとに嫁いだために、鷺山殿(さぎやまどの)と呼ばれていたと書かれているが[1]、これは当時の習慣に則したもので筋が通る。, 信長の妻の称としては、於濃の方(おのうのかた)[注釈 10]とも呼ばれるが、『絵本太閤記』等の通俗本の呼称である濃姫を元にするよりは、鷺山殿の称の方が由来は明確である。『美濃国諸旧記』では上総介信長の北の方(正室)となったとの記述もあるので[9]、それに基づくと鷺山殿が信長の正室であったと考えることができる。, また後述するが、安土殿と呼ばれていた人物が濃姫と同一人物であるという最近の説もある。総見院で於鍋の方の隣に葬られた養華院が、信長の妻の1人として葬られていることは確かであるが[10]、それを濃姫であると断定するまでにはまだ検討の余地がある[2]。, 濃姫は、斎藤道三の娘で、母は正室の小見の方[1][7]。『美濃国諸旧記』では、小見の方は、東美濃随一の名家であったという明智氏の出身であり、濃姫は正室唯一の子であったとされる[11]。『系図纂要』や『明智氏一族宮城家相伝系図書』によれば、小見の方は明智光継の娘、光綱の妹とされるので[注釈 11]、明智光秀の叔母にあたることになり、濃姫と光秀は従兄妹の関係にあったはずだが、光秀の出自自体に不明な点が多く、諸説があって正確な続柄はよく分からない[注釈 6]。, 生年を記した書物は『美濃国諸旧記』しかなく、濃姫は天文4年(1535年)の生まれだとされる[1][7]。道三が42歳の年である[7]。, 通説によれば、天文10年(1541年)頃に斎藤道三は守護・土岐頼芸を放逐し、その連枝を殺害して美濃国主となった。しかし、依然として土岐氏に従う家臣も多く、国内の秩序は乱れていた。そこで、頼芸より下賜された側室・深芳野の子である長男・義龍を頼芸の落胤であると称して美濃守護に据えた[12]。, しかし天文13年(1544年)8月、斎藤氏の台頭を嫌う隣国尾張の織田信秀は”退治”と称して土岐頼芸を援助して兵5千を派遣し、越前国の朝倉孝景の加勢を受けた頼芸の甥・土岐頼純(政頼)が兵7千と共に南と西より攻め入った。斎藤勢はまず南方の織田勢(織田寛近)と交戦したが、過半が討ち取られ、稲葉山城下を焼かれた。同時に西方よりも朝倉勢が接近したため、道三はそれぞれと和睦して事を収めることにした。織田家との和睦の条件は信秀の嫡男・吉法師丸(信長)と娘とを結婚させるという誓約であり、他方で土岐家とは頼芸を北方城に入れ、頼純を川手城へ入れると約束した[13]。, 天文15年(1546年)、道三は朝倉孝景とも和睦し、土岐頼芸が守護職を頼純に譲るという条件で、新たに和睦の証(人質)として娘を頼純へ輿入れさせ、頼芸と頼純を美濃に入国させた。主筋の土岐家当主への輿入れであることから相応の身分が必要との推測から、この娘は道三の正室を母とする濃姫であった、とする説がある[2]。この説に従えば、濃姫は数え12歳で、美濃守護土岐頼純の正室となったことになる。, 信秀との約束は一旦保留となったが、織田・朝倉の方でも道三を討伐しようという考えを捨てておらず、天文16年(1547年)8月[注釈 12]、土岐頼芸と頼純に大桑城に拠って土岐氏を支持する家臣団を糾合して蜂起するように促した。道三はこれを知って驚き、織田・朝倉勢が押し寄せる前に大桑城を落とそうと大軍で攻め寄せたので、頼芸は命からがら朝倉氏の越前国一乗谷に落ち延びた[15]。9月3日、信秀は再び美濃に侵攻して稲葉山城下を焼いたが、22日の夕暮れに退却しようとしている所を斎藤勢に奇襲され、敗北を喫した[16]。, 土岐頼純は、『美濃国諸旧記』では同年8月[注釈 12]の大桑城落城の際に討ち死に、または同年11月に突然亡くなったとする[2]。前出の同一人物説では、いずれにしろ濃姫はこの夫の死によって実家に戻ったと推測される。, 天文16年から翌年にかけて、道三と信秀は大垣城を巡って再三争ったが、決着が付かず、和睦することになって、先年の縁組の約束が再び持ち上がった。『美濃国諸旧記』によれば、信秀は病気がちとなっていたために誓約の履行を督促したとされ[9]、天文18年2月24日(1549年3月23日)に濃姫として知られる道三の娘は織田信長に嫁いだ[1]。媒人は明智光安であったとされる[9]。この時、濃姫は数えで15歳であった[9]。一方で『信長公記』によれば、織田家臣の平手政秀の(個人的な)政治力で和睦と信長の縁組みがまとめられたという[17][注釈 13]。, 『絵本太閤記』と『武将感状記』のよく知られた逸話に、結婚の1年後、濃姫が熟睡すると信長は毎夜寝所を出て暁に帰るという不審な行動を1か月も続け、浮気を疑う濃姫が尋ねると、信長は密計を図っていて、謀叛を起こす道三の2人の家老(堀田道空、春日丹後守[注釈 14])からの連絡を待っているのだと答えた。濃姫はついにその旨を父に知らせると、道三は信長の離間策にはまって、家老の裏切りを疑って殺害してしまったというものがある[6][5]。ただし、この逸話に相当するような、道三が実際に家老を殺害した記録は存在しない。, 天文22年(1553年)4月には、信長と道三が正徳寺で会見を行っている[18]が、先年の婚儀以後、濃姫についての記載は『美濃国諸旧記』から途絶える。道三の遺言でも一言の言及もない[19]。他方で、『勢州軍記』『総見記』には、信長の御台所である斎藤道三の娘が、若君(御子)に恵まれなかったので、側室(妾腹)が生んだ奇妙丸(信忠)を養子とし嫡男としたという記述がある[20][21][注釈 15][注釈 16]。, 斎藤家の菩提寺常在寺に父・道三の肖像を寄進した(時期不明)と寺伝にあるのを最後に、濃姫は歴史の記録から完全に姿を消した。このために濃姫は没年も不明であり、菩提寺も戒名も特定されていない。, 濃姫の史料は極めて乏しく、実証が難しいために、その実像には謎が多く、確たることはほとんどわかっていない[注釈 17]。2人の間には子ができなかったというのが通説であるが、信長の子供、特に女児の生母は不明の場合が多く、本当に子がいなかったかすら確かではない[注釈 18]。上記のように史料価値があると考えられている『信長公記』には入輿について短い記述があるだけでその後は一切登場せず[注釈 13]、その他の史書にも記載が少ないため、濃姫のその後については様々な推測がなされている。この節では諸説について多角的に説明するが、いずれも仮説や推論である。, 天文17年(1548年)、14歳で信長に嫁ぎ、正妻の座にあったが、初期の側室の生駒氏が弘治3年(1557年)に信長の嫡男・織田信忠を産む以前に、20歳くらいで病死したのではないかと推測されている[23]。だが生駒氏は信雄の母と言う記録があるのみで信長の継室になった記録などなく信忠母も確定されていない[要出典]。生駒氏の記録のある武功夜話は近年その資料として精度に疑いを持つ評価が圧倒的である[要出典]。, 寛永15年(1638年)頃に成立したとされる『濃陽諸士伝記』によると、道三を殺した斎藤義龍が病没してその子・龍興の代になった頃[注釈 19]、義龍の娘に馬場殿がいて[注釈 20]、信長から妾(側室)にしたいとの話があった。龍興が言うには、信長は道三の婿で馬場殿は信長の妻の姪となるので、「其妻死後に遣り難し」と述べ、ましてや妾などとしてくれてやるのはもってのほかで、土岐氏の嫡流である当家の名が廃ると言ってと拒否した。これを聞いた信長は、元来堪え性のない勇敢な人物だったので、憎々しい物言いだと怒って、稲葉山城に何度も攻め寄せて永禄7年(1564年)8月下旬に落城させた[24]。これに基づくと、濃姫が少なくとも28歳前後の永禄7年には既に亡くなっていて、信長の正室にも別の人物が収まっていたことになる。ただし、実際に稲葉山城が落城したのは永禄10年(1567年)のことであり、整合性には乏しい。, 濃姫が本能寺の変の際に薙刀を振るって信長とともに敵兵と戦って戦死する場面がしばしば描かれてきたが、これは創作物における描写である。本能寺の変の際に濃姫が戦死したという話は、一度として史料で確認されたことはなく、いわゆる小説の世界での話であり、確かなものではなかった[25]。, 民間伝承としては、岐阜県岐阜市不動町には本能寺の変の際に信長の家臣の一人が濃姫の遺髪を携えて京から逃れて、この地に辿り着き埋葬したという濃姫遺髪塚(西野不動堂)がある[注釈 21]。『美濃国諸旧記』によれば濃姫と信長は1歳違いなので、本能寺の変の時に亡くなった場合、享年48歳となる。, 生存説とは、つまり濃姫がその後も生きていた痕跡を探して存在の可能性を示そうというものである。以下年代順に論じる。, 同時代人の筆で良質の資料によるものでは、『言継卿記』に、信長が足利義昭を擁して上洛した後の永禄12年(1569年)7月条に、斎藤義龍の後家(近江の方)を庇う信長本妻という記述があり[注釈 22]、濃姫の生存を示すものである可能性がある。, また、『言継卿記』の同年の記に「姑に会いに行く信長」の記述も見られるが、これは濃姫の生母(小見の方)を指しているはずで、岡田正人は姑の存在は濃姫が生存していたがこそであると主張している[27]。大村由己の『総見院殿追善記』[注釈 23]にも、安土城から落ち延びた北の方の記述が見られる。この御台や北の方は濃姫のことを指していて、変の時には彼女らは安土城にいたと考えても特に矛盾はない[28]。, 寛永年間に成立したとされる『氏郷記』には、安土城二の丸の留守居であった御番衆の蒲生賢秀が本能寺の変直後に安土城から日野城へ「信長公御台君達など」を避難させたという記述がある[29][10]。, 元禄年間[注釈 24]に書かれた『明智軍記』には、尾張平定後の饗膳の際に、信長内室[注釈 25]が美濃討伐の命令を望む家臣達に感謝し、たくさんのアワビなどを振舞ったという記載がある。『明智軍記』は史実と異なる点や誇張・歪曲している点なども多くみられるが、少なくとも江戸時代には一般的に濃姫は信長の正室として存在したと認識されていて、道三亡き後に濃姫が離縁されたり、亡くなったというような話は、伝わっていなかったと推測できる。, 享保年間に成立した『近江国輿地志』には、成菩提院[注釈 3]の深砂王の書像の奇譚[注釈 26]として、信長の「御台所」が宿泊して図らずも安産ができたとする記事が存在する[3]が、この御台所が誰を指しているか、いつのことかなのかは記されていないので、濃姫だとは断定できない。『武功夜話』には、永禄8年(1565年)に信長の新居城である小牧山城に生駒殿のために「御台様御殿」が増築されたとされ、信忠、信雄、五徳、妹の須古女を伴って同御殿に入った生駒殿は翌年にそこで亡くなったので[30]、奇譚についても、生駒殿(御台様)の安産を指している可能性もあるが、『武功夜話』の書かれた年代については疑義が持たれている。, 大正期にまとめられた『妙心寺史』によれば、天正11年6月2日に信長公夫人主催で清見寺住持の月航玄津(妙心寺44世)が一周忌を執り行ったという当時の記録があるそうで[31]、羽柴秀吉主催とは別の一周忌法会であるため、興雲院(於鍋の方)とは別人と推測され、他にも候補はいるものの、濃姫をさす可能性はあるとされる。, これらの生存説は、信長死後も濃姫は生存していたことを示しているように思われるという程度で確証に乏しかったが、近年では個人を特定しようという新説が登場した。, 信長の次男・織田信雄が天正15年(1587年)頃の家族や家臣団の構成をまとめた『織田信雄分限帳』に、あつち殿(安土殿)という人物が書かれているが、これが濃姫を指すのではないかと考えられている[2]。, 平成4年(1992年)、岡田正人は、調査によって鷺山殿の法名が安土摠見寺蔵『泰巌相公縁会名簿』[注釈 27]に「養華院殿要津妙玄大姉 慶長十七年壬子七月九日 信長公御台」と記されていたと発表した[注釈 28]。また京都の大徳寺総見院には「養華」と刻まれた五輪供養塔(卒塔婆)があると奉じ、NHKの大河ドラマ『信長』内で、従来説を覆し、濃姫(鷺山殿)が慶長17年7月9日(1612年8月5日)[注釈 28]まで78歳の天寿を全うしたと放送した。また岡田正人は養華院は濃姫であると主張し[34][32]、於濃(濃姫)の墓所との地元伝承のある瑞龍寺墓所については玉泉院(前田利長室)の生母は別人であろうと推定した[34][35][注釈 18]。これらが正しければ、濃姫は(織田氏の菩提寺である)大徳寺総見院に埋葬されている可能性がある[2][36]。, 上記の岡田正人の説に対して、永田恭教は養華院に関する大徳寺の記録は全て寵妾となっていることから、養華院は濃姫ではなく側室の一人であったと反論をしている[37]。, 濃姫の生年が天文4年であるならば、光秀は従兄であるべきだが、『美濃国諸旧記』では光秀を濃姫の「従弟」と書いており、通説とは異なり、光秀をだいぶ若く見積もっていたようである。, 通説では嫁いだ頃には信長は那古屋城に移っていたはずであるが、『美濃国諸旧記』の記述による。, 『江濃記』では土岐頼芸の決起が11月17日とあり、道三による大桑城落城が次の行にあるので、落城も11月以降, 両名の名は『信長公記』にも見られるが、後者は人物不詳。道空については比定が難しい。, 平成28年2月19日、岐阜城の御殿(信長居館)跡から金箔瓦が見つかったと岐阜市が発表した。, 『美濃国諸旧記』『濃陽諸士伝記』『絵本太閤記』『武将感状記』『明智軍記』『武功夜話』など、濃姫の話の登場する主な書籍は尽く史料とは言い難い読本の類で、名前も存在も何一つが確かではない。, 義龍に娘がいたという記録はないが、道三を討ち取ったことで知られる小牧源太(道家)の家で預かられていたという, 信長が斎藤義竜の後家が所持していた、壷(茶器)を差し出すよう何度も催促したが、後家は岐阜落城の折(永禄10年)に紛失したと主張して「これ以上私を責めるならば自害する」と信長に抗議したとき、「信長本妻」が「兄弟女子十六人自害なすべし」と同調したとされる話, 「内室」は他人の正室を敬っていう言葉で、信長には正室として認知されている人物は濃姫しかいないので、濃姫のことをさすと推定される。, 西ヶ谷恭弘『考証織田信長事典』では岡田正人の調査によって発表された内容が「慶長17年7月, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/878011/57, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1109790/71, https://web.archive.org/web/20180927165248/https://www.nikkei.com/article/DGXLZO97505410Q6A220C1000000/, https://web.archive.org/web/20180928044008/http://chuplus.jp/blog/article/detail.php?comment_id=7177&comment_sub_id=0&category_id=233, https://web.archive.org/web/20180928044033/https://www.yomiuri.co.jp/chubu/feature/CO022951/20161212-OYTAT50035.html, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/926992/151, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948838/28, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/948838/214, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/952767/126, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1920322/66, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1879783/75, https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771450/33, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=濃姫&oldid=81051652, 再編『帷子の舞―信長の時代― 時代ロマン・セレクション3』 (プリンセス・コミックスα、2012/4/16). 大河代役で大注目!川口春奈「“色香”濃姫」素顔を晒す(3)生中継で熱愛が白日の下に 2020/01/19 (日) 09:57 大河ドラマ全リストがご覧になれます! 各ドラマのスタッフが、番組の最新情報や裏話をお届けしています。 (nhkサイトを離れます) 過去の番組(動画)がご覧になれます! 2020年大河ドラマの追加キャスト発表会見が3月8日都内で行われ、政略結婚で織田信長の正妻となる帰蝶(濃姫)役は沢尻エリカさんが演じることが発表されました。 「帰蝶(濃姫)は気高くて気が強いキャラクター。 『江〜姫たちの戦国〜』(ごう ひめたちのせんごく)は、2011年 1月9日から同年11月27日まで放送された、nhk 大河ドラマ第50作 。原作・脚本・田渕久美子、チーフ演出・伊勢田雅也、音楽・吉俣良。 … 2019年(平成31年~令和元年)の大河ドラマ『いだてん』が終わり、2020年(令和2年)1月19日から『麒麟がくる』が始まります。 始まる前から配役変更などありましたが、信長の正室、濃姫は川口春奈ということで目下、撮り直し?が進められているようです。

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